映画『Oasis: Supersonic』

角川シネマ有楽町で映画『Oasis: Supersonic』を鑑賞。イギリスのロックバンド、オアシスを描いたドキュメンタリー映画で、製作にあたって行われたメンバーや関係者へのインタビューと当時の貴重な映像アーカイブ等によってバンドの軌跡を追憶する内容となっている。

僕がオアシスを聴き始めたのは1998年頃で、大学生の頃だった。2nd アルバム『モーニング・グローリー』(95年)も後追いだし、3rd アルバム『ビィ・ヒア・ナウ』(97年)も、リアルタイムでは間に合わなかった。それでも僕にとってオアシスは特別なバンドで、その後の作品はずっと追い続けていた。解散の噂は絶えないバンドだったけど、ただ、本当に解散してしまった時はあっさりしていた記憶がある。いつの間にか解散してて、ベスト盤がタワレコに並んでる、みたいな。

映画では、これまで雑誌やCD のライナーノーツで読んできたバンドの歴史も、映像や本人たちのコメントを交えながら追体験すると、また違った印象になる。例えばクリエイション・レコードとの契約に至った話。「グラスゴーでのライブでアラン・マッギーと出会い、惚れ込んだアランがその場で契約した」と、文章にしてしまうと読み流してしまうような出来事も、証言や映像、その背景を掘り下げていくと本当に千載一遇としか言えない奇跡だったんだと感じた。

もうひとつ印象的だったのは、やはりロック・バンドというのは全員が揃ってこそマジックが宿るのだということ。ノエルとリアムのギャラガー兄弟の才能と印象が強すぎて、オアシスのメンバーについては「ギャラガー兄弟+それ以外」というイメージを僕はずっと持っていた。もしかすると、世の大半の人もそうなのではないかと思う。でも、映画を見るとギターのボーンヘッドがオアシスというバンドを維持する上でいかに重要な役割を果たしていたかを感じるし、「ドラムがトニーからアランに代わった」と、これまでライナーで読んでも「ふーん」としか思わなかったような出来事が、実は大きな転機になっていたのではないかという印象を持った。メンバーが変わることで確かにドラムの技術は上ったのかもしれないけれど、バンドが持っていたスピリットみたいなものも変わってしまったのではないか。特にバンドの結成から追っていくと、やはりオリジナル・メンバーこそが最強で、技術では表されないマジックを発揮できるフォーメーションなのだ。そんなことを思った。

映画は1996年に行われたネブワースのライブが始まるところで幕を閉じる。2日間で25万人を集めたこのライブがオアシスとしてのピークだった。(ノエルの有名な「This is history!」の言葉も聞ける。)「オアシスの結成から解散まで」を描かず、敢えてここで幕引きをすることで、「その後」のオアシスを知る僕らは幾ばくかの悲しさを覚える。それは、1st や2nd アルバムのような傑作を常に期待されながらも結局それを超えることができず、やがて崩壊していく歴史を知っているからだ。そして音楽シーンでロック・バンドが苦境に立たされている現在、この先、オアシスのように楽曲はもちろん「存在」だけでこれだけ多くの人々を魅了できるようなバンドが現れるのだろうか、そんなこともふと頭を過ぎってしまうからだ。それだけに、オアシスという存在と現象はポップ・ミュージック史において偉大な足跡を残したのだと改めて強く感じた。

 

oasis-supersonic.jp


『オアシス:スーパーソニック』予告 HD