真夜中に流れるラジオからのスティーリー・ダン

2017年9月3日の深夜にアメリカのミュージシャン、ウォルター・ベッカーの訃報をインターネットのニュースで知った。

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スティーリー・ダンを初めて聴いたのはいつ、どの作品だったかということは覚えていないけど、その名前を初めて知ったのは小沢健二の「天使たちのシーン」(1993年)の歌詞の一節だ。

金色の穂をつけた枯れゆく草が 風の中で吹き飛ばされるのを待ってる
真夜中に流れるラジオからのスティーリー・ダン 遠い町の物語話してる

中学生か高校生の当時の僕は、歌詞の内容からスティーリー・ダンというのはミュージシャンやバンドではなくラジオのDJ か何かのネーミングだと思っていた記憶がある。

それから20年以上が経ち、僕は熱心なリスナーとはとても言えないもののスティーリー・ダンのアルバムは一通り聴いてきたし、つい先日には「Blue Note ジャズフェスティバル」のチケットを購入してヘッドライナーのドナルド・フェイゲンのステージを楽しみにしていただけに、この訃報はショックだった。偉大なミュージシャンがいなくなってしまうのはとても寂しい。

そして時を同じくして小沢健二が新曲「フクロウの声が聞こえる」をリリースした。昨年の魔法的ツアーでも披露された楽曲だ。ライブではアンコールを含め2回演奏されたことからも、小沢健二本人にとっても力作であり、核となる作品という位置付けなのだろう。

SEKAI NO OWARI とのコラボ発表にはさほど驚きはなかったものの、バックバンド&コーラス程度の客演だと思っていたので、歌パートの一部を任せられるほどのガッツリしたコラボっぷりには度肝を抜かれた。

ライブのアレンジで聴いた印象ではヘヴィなロックだったけど、CD 音源ではファンタジックなアレンジを施すことで(セカオワっぽい?)、「父と子の寓話」的な世界観がより一層際立っている。また、アレンジが変わってしまっても、楽曲の力強さは少しも損なわれていない。か細くイノセントなSEKAI NO OWARI のボーカルに小沢健二の年季の入った歌声が被さることで、むしろ強靭な骨太さを獲得したかのようだ。

CD を一聴した時は「コラボではなく小沢健二のソロで通して聴きたいな」と感じたが、今では「実は初めからこのコンビネーションを想定して作られたのではないか?」とすら思う。「ちゃんと食べること 眠ること 怪物を恐れずに進むこと」。近年の小沢健二の活動の中心にある「都市と生活」というテーマをソリッドなメッセージで示すプリンシプルのような楽曲になったと思う。

フクロウの声が聞こえる(完全生産限定盤)

フクロウの声が聞こえる(完全生産限定盤)