引っ越し その2(不要物の廃棄)

2月18日(土)は引っ越しに伴って発生した諸々の作業や手続きを一気に片付ける一日だった。

まずは朝一から粗大ゴミの搬出。昨年の8月に故障したものの、特にゴミに出すでもなくずっと定位置に設置されたままだったテレビとそれを支えるテレビ台をついにと言うかようやく廃棄した。テレビ台は粗大ゴミとして自治体のルールに則って300円の手数料を払って廃棄。しかし業者に引き取ってもらうためには指定された廃棄場所まで持っていかなくてはならないわけで、テレビ台をマンションの1階の玄関口まで運んでいくのはなかなか大変な思いをした。

テレビは「家電リサイクル法」の対象となるため、また別の手続きと費用が必要になる。今回廃棄したテレビは 32インチの液晶型なので、リサイクル料金として 2,916円、運搬料金として 2,700円の計 5,616円を支払う羽目になった。廃棄ではなく買い替えにすれば、きっと購入先の家電店が無料で引き取ってくれたのだろう。しかしテレビもあらかじめ玄関口まで運んでおかねばならず、これも苦労した。

次はブックオフの出張買取が 10時頃に着。ダンボール2箱分の書籍と雑誌、あと少しの DVDとテレビゲームソフトを引き取ってもらった。まあこれもゴミを捨てるようなものなので、値が付けばラッキーくらいの気持ち。

そして11時頃には引っ越しを依頼した業者から荷造り用のダンボールが届いた。小サイズが15箱に大サイズが5箱。実際の引っ越しは2週間後だが、さっそく雑誌や本、CDといった趣味物から片付けていく。するとあっという間に8箱ほど消費した。ダンボールは昨日までテレビが置かれていたスペースに積まれている。

夕方には引越し先の物件を紹介してもらった不動産屋に赴いて契約書の手続き。契約内容を口頭で説明を受け、ひたすらサイン&はんこ押し。正直引っ越しの実感はまだあまりないのだが、これで手続き関係は完了。新居の家賃発生が1週間後からなので、また来週ここにきて部屋の鍵を受け取る予定。

引っ越し その1(引越し先決定)

2月に入ってから引っ越しの準備を着々と進めている。というか実は既に転居先も決まっていて、来週末には正式な契約の手続きをし、3月初週には新居での新生活が始まる予定。部屋探しは実質的に1日で終わってしまい、物件選択はもう少し時間を掛けても良かったかなとも思うけど、時間を掛ければ良い部屋が出てくるわけでもないし、100点満点ではないにしろ、あらかじめ考えていた予算内に収まり、かつ希望していた条件(今回で言えば「独立洗面台」)も満たす部屋だったのでそこに決めた。

引っ越しについては去年の今ぐらいからずっと頭にあったし自分が望んでするわけだけど、いざ引っ越しが決まると「いま住んでるこの街や部屋とサヨナラしなくちゃいけないんだな」と、当たり前のことが頭をよぎって、その寂しさで不動産屋からの帰り道に少し涙ぐんでしまった。思えば10年、ここで暮らしてきたのだ。10年という年月は、生まれ育った実家(18年)に次いで2番めの長さだ。

ここが第二の故郷とまで言い切るほどではないけれど、この地で積み重ねた時間や残してきた記憶、あるいは他の誰かと共に過ごした思い出というものは忘れることはできないだろう。きっとそれは、僕の心の奥の何処かにそっと残り続けるのだと思う。人は思い出から逃れることはできないのだ。

2017年1月資産内訳

資産 残高 対前月比 年間通算 備考
預金 7,966,562 + 76,272 + 76,272 スルガ銀行(定期)
債券 1,000,000 - - ソフトバンク社債
株式 5,128,781 + 86,158 + 86,158 SBI証券楽天証券
投資信託 1,365,518 + 22,209 + 22,209 楽天証券 ※毎月3万円積立
合計 15,460,861 + 184,639 + 184,639

2017年の大発会日経平均株価で約479円の上昇と、4年ぶりの上昇でのスタートとなった。僕が今のスタイルで株式投資を始めたのが3〜4年前なので、年初でこんなに騰がるのは初めての経験だった。ただ、その後は軟調な展開が続いて、相場の底堅さは感じるものの結局大発会の盛り上がりを取り戻すこともなく月末を迎えた感じ。まあ昨年末に急ピッチで上昇していたことを考えれば、大きく反落することもなくプラスで終えたことをひとまず良しとしたい。(昨年はマイナス10万8千円のスタート。)

GROOVISIONS 5×27

1月15日(日)に、東京の青山スパイラルにて開催されていたgroovisions の展覧会『GROOVISIONS 5×27』に行ってきた。groovisions の展覧会に行くのは2012年に銀座で開催された『groovisions Lesson 2012』、2015年に表参道で開催された『groovisions firstlight』に続いて3回目。

展示スペースはそれほど広いわけではなかったけれど、groovisions が手がけてきたデザインやプロダクトが壁一面にディスプレイされた光景は壮観で、まるでグルビグッズに囲まれた部屋に入ったような感じがして、その場にいるだけで心が弾むものだった。ちなみに僕が最も好きなgroovisions のデザインのひとつはSaint Etienne のアルバム『The Misadventures of Saint Etienne』(1999年)のジャケット。これもしっかり飾られていた。

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groovisions のデザインの魅力は、Helvetica フォントに代表される、ひと目でそれと分かる統一感のあるポップさ。そしてそれをグラフィックとして二次元に落とし込むだけではなく、手で触れることができる "モノ" に転換することで空間にコミットさせる、デジタルとアナログの絶妙なバランス感覚。それは今回の展覧会の目玉である全長約13mというディスプレイで公開された新作映像にも現れていて、手法そのものは最先端のテクノロジーを使っていても、コンテンツにはどこかアナログな手触りが残されてるこの感じ。この感覚がgroovisions のデザインをいつまでも飽きさせない、耐久性のあるものにしているのだと思う。

会場では、groovisions が運営しているというセレクトショップ「三三屋」も出店していて、そこでマグカップを購入。

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映画『Oasis: Supersonic』

角川シネマ有楽町で映画『Oasis: Supersonic』を鑑賞。イギリスのロックバンド、オアシスを描いたドキュメンタリー映画で、製作にあたって行われたメンバーや関係者へのインタビューと当時の貴重な映像アーカイブ等によってバンドの軌跡を追憶する内容となっている。

僕がオアシスを聴き始めたのは1998年頃で、大学生の頃だった。2nd アルバム『モーニング・グローリー』(95年)も後追いだし、3rd アルバム『ビィ・ヒア・ナウ』(97年)も、リアルタイムでは間に合わなかった。それでも僕にとってオアシスは特別なバンドで、その後の作品はずっと追い続けていた。解散の噂は絶えないバンドだったけど、ただ、本当に解散してしまった時はあっさりしていた記憶がある。いつの間にか解散してて、ベスト盤がタワレコに並んでる、みたいな。

映画では、これまで雑誌やCD のライナーノーツで読んできたバンドの歴史も、映像や本人たちのコメントを交えながら追体験すると、また違った印象になる。例えばクリエイション・レコードとの契約に至った話。「グラスゴーでのライブでアラン・マッギーと出会い、惚れ込んだアランがその場で契約した」と、文章にしてしまうと読み流してしまうような出来事も、証言や映像、その背景を掘り下げていくと本当に千載一遇としか言えない奇跡だったんだと感じた。

もうひとつ印象的だったのは、やはりロック・バンドというのは全員が揃ってこそマジックが宿るのだということ。ノエルとリアムのギャラガー兄弟の才能と印象が強すぎて、オアシスのメンバーについては「ギャラガー兄弟+それ以外」というイメージを僕はずっと持っていた。もしかすると、世の大半の人もそうなのではないかと思う。でも、映画を見るとギターのボーンヘッドがオアシスというバンドを維持する上でいかに重要な役割を果たしていたかを感じるし、「ドラムがトニーからアランに代わった」と、これまでライナーで読んでも「ふーん」としか思わなかったような出来事が、実は大きな転機になっていたのではないかという印象を持った。メンバーが変わることで確かにドラムの技術は上ったのかもしれないけれど、バンドが持っていたスピリットみたいなものも変わってしまったのではないか。特にバンドの結成から追っていくと、やはりオリジナル・メンバーこそが最強で、技術では表されないマジックを発揮できるフォーメーションなのだ。そんなことを思った。

映画は1996年に行われたネブワースのライブが始まるところで幕を閉じる。2日間で25万人を集めたこのライブがオアシスとしてのピークだった。(ノエルの有名な「This is history!」の言葉も聞ける。)「オアシスの結成から解散まで」を描かず、敢えてここで幕引きをすることで、「その後」のオアシスを知る僕らは幾ばくかの悲しさを覚える。それは、1st や2nd アルバムのような傑作を常に期待されながらも結局それを超えることができず、やがて崩壊していく歴史を知っているからだ。そして音楽シーンでロック・バンドが苦境に立たされている現在、この先、オアシスのように楽曲はもちろん「存在」だけでこれだけ多くの人々を魅了できるようなバンドが現れるのだろうか、そんなこともふと頭を過ぎってしまうからだ。それだけに、オアシスという存在と現象はポップ・ミュージック史において偉大な足跡を残したのだと改めて強く感じた。

 

oasis-supersonic.jp


『オアシス:スーパーソニック』予告 HD